片山右京の限りなき挑戦 全3回シリーズ 2nd stage 登山家として、“本物”を目指して
純粋に“本物”を目指し一生かけて登ってゆく
page1/page2
頂上に立つこと以外は考えていない
頂上に立つこと以外は考えていない
爪が全て取れるほどでしたが、幸い指は治りました。でも、実は死んでもいいぐらいの気持ちでいたんです。その代わり、絶対に頂上に立つ、指がどうこうなんて言っていられない。
よく、途中で下りる決断をするのも勇気が要ると言います。ある意味正しいとは思いますが、それでは登れません。登山家というのは、やはりやめる勇気より、登る勇気をより必要とします。だって、命を落とす確率をどんどん高めていくわけですから。だからこそ、体力や意志の強さや経験値などが本物じゃないといけない。
今回、自分がそこまでの人間なのかということ、自分にそれだけの勇気があるかどうかが大事だったんです。死んでもいいというのは語弊があるかもしれませんが、とにかく頂上に立つことしか考えていませんでした。

世界の頂点に立つ…それが「富」では、本当の意味では幸せになれません。でも、山登りには心臓をえぐられるような満足感があるんです。先人が到達できなかった山を登頂に成功して帰ってくる、これがいくら困難でも、やるしかないんです。それは、僕が登山家だから。有名になりたいわけじゃない、誰のためでもない、だから楽しくてしょうがない。厳しければ厳しいほど、辛ければ辛いほど「よし、もっと来い!」なんて思います。
そうして帰ってくると、世の中の大抵のことが平気になって、人にそのぶん優しくなれるんです。厳しい環境に自分を置いて試すのはいいことだと思います。本当に自分が怯えたときに、自分でいられるかどうか、意外と自分が知らないものです。人はどんどん強くなれますよ。
前人未踏の領域に挑むことが登山である
前人未踏の領域に挑むことが登山である


登山は僕にとって、ロマンやエゴを通り越してしまっています。自分が純粋に求めているものなんです。しかし、他にやらなきゃいけないこともあります。子供達、つまり次の世代の為に何ができるか…。
片山右京という人間はそんなにいい奴じゃない、でも、うまく言えないけど、何かやらないと苦しい、というのが正直な気持ちなんです。前回話したBDFのように環境を変える取り組みなどを行いつつ、それとは別に、人間が生きるためには、やっぱり頑張るしかないこと、それを、僕は登山を一生あきらめないことで見せるしかないと思っています。
登れないこともあるだろうし、命を落としてしまうような危険にさらされることも充分わかっています。でも、結果より大切なものがあります。生涯“本物”を目指して行きたいですね。


片山右京(かたやま・うきょう)
Profile
片山右京(かたやま・うきょう)
1963年生まれ。1992年よりF1レーサーとして6年間連続で活躍する。登山家としての顔も持ち、2006年には世界第8位のマナスル(8163m)の登頂に成功する。さらに2007年パリ・ダカールラリーでは、バイオディーゼル燃料にて出走し、完走を果たすとともに大きな話題を呼んだ。
3rd stage(最終回) 「新たな挑戦、点が線になって」へ
BACK
VULCAIN